横浜永谷キリスト教会 紹介
私たちの教会
横浜永谷キリスト教会(ヨコハマ ナガヤ)は、プロテスタントと呼ばれるキリスト教の流れの中にある教会で、聖書を誤りのない神のことばとする聖書信仰、福音主義の立場に立っています。
教会の設立は、1987年。日本宣教の重荷を持つドイツの宣教団体「リーベンゼラ・ミッション」の宣教師によって開始されました。
現在はまだ小さな集まりですが、お互いのことをよく知り合える家族的な集まりです。共に交わりを持ち、ともに礼拝をささげることができることを喜んでいます。
全国に約200の教会が加盟する日本福音キリスト教会連合(JECA)に属し、神と人とに仕える教会を目指しています。
教会の歩み
1987年10月25日 リーベンゼラミッションのドイツ人宣教師ウェルナー・パウロカート宣教師によって、戸塚区南舞岡の地に「舞岡福音キリスト教会」として発足
1995年7月2日 パウロカート宣教師からヨアヒム・カプス宣教師に交代。
1997年3月23日 現在地である港南区下永谷に教会堂を移転し、「横浜永谷キリスト教会」に名称を変更
2002年9月1日 カプス宣教師からゲルト・シュトラウス宣教師に交代
2007年3月25日 シュトラウス宣教師から日本人牧師の栗原喜義牧師が就任
2016年1月1日 栗原牧師退任に伴い、金子昭彦牧師が就任。
2021年7月1日 金子昭彦明彦牧師退任。岩松康宣牧師が就任。
2023年4月1日 原 雅榮師が協力牧師に就任予定。
牧師プロフィール
岩松康宣(いわまつ・やすのり)
函館市出身。キリスト教に興味を持ったのは小学校5年生の時に聴いたキリスト教のラジオ放送。三浦綾子さんの「氷点」をミッションスクールに通っていた友人からプレゼントされたことがきっかけで求道、1967年7月、洗礼を受ける。
高校生時代に始めた写真に夢中になり写真部の暗室にこもり、全日写連にも所属し報道カメラマンにあこがれたが夢はかなわず、一般サラリーマンとしての生活を続けていたが、30歳で伝道者としての召命を受け中央日本聖書学院入学。卒業後2年間、母教会であるキリスト教朝顔教会の伝道師として奉仕。1983年に始まった「菅開拓伝道プロジェクト」の開拓伝道者として菅キリスト教会設立に関わる。1989年の最初の会堂建築の際には、建設資金不足をカバーするために素人ながら会堂の内装を手がける。
2013年3月30年間の菅キリスト教会牧師の活動に区切りをつけて、2013年4月から2018年3月まで弘前福音キリスト教会の牧師。2018年4月に田鎖直樹師を牧師として迎えバトンタッチ。2019年4月から2021年3月まで松見ヶ丘キリスト教会(東京都町田市)の牧会に携る。2021年、横浜永谷キリスト教会からの招聘があり7月から牧師に就任。
腹話術人形タロー君とのコンビは40年以上になり、キャンプや各地での腹話術の活動も行って来た。趣味は写真撮影。
協力牧師プロフィール
原 雅榮(はら・まさえい)
福島県会津若松市出身。1971年から大学で建築を学んだが、1年の時、一般教養の宗教学のレポートを書くために、教会に出席するようになった。レポートを書くために、教会のほとんどの集会に出席し、記録をとりレポートの準備をした。時期は秋ということで教会の伝道集会があり、そこで、自分の罪を示され、神の前に罪人であることを自覚した。10月20日に行われた西南福音クルセ-ドに出席し、そこで本田弘慈師の説教を聞き、自分の罪を告白し、自分のために十字架にかかって下さった主イエス・キリストを救い主と信じて救われクリスチャンとなった。その後、大学を卒業し、聖書神学舎で聖書と訓練を受けた。
1978年水海道栄町キリスト教会で副牧師として、1979年から 16年三反田キリスト教会(現横浜さちが丘キリスト教会)で、1995年から12年我孫子福音キリスト教会で牧師として働かれていたが、病気になり2年休職。1999年から自治医大前キリスト教会で3年、2012年から宮園キリスト教会で 9 年牧師として、2年協力教師として奉仕されていた。2023年4月から横浜永谷キリスト教会の協力牧師に就任。
聖書のメッセージを分かりやすく解き明かすメッセージでも定評があり、全国各地の教会などの要請に応じ、特別集会や研修会などの講師としても活躍中。
趣味は、囲碁、パン作り.植物を育てること。